三島由紀夫の短編集『岬にての物語』のうちの一話。昭和26年の作品。
ある家の長男の話。幼いころから病床の祖母に付き添って家に閉じこもっては本を読んだり絵を描いたりしていた。それを不憫に思っていたということを綴った母の手記を読む。しかしその主人公は、母が思っていたほど外に出られないことを苦痛には思ってはいなかった。そしてその「苦痛」というのは、息子の姿を離れたところから見るしかできなかった、母自身の苦痛だったのではないか、という話。(祖母の看護師との微妙なかけひき)
「何か」が、面白いのです。ミシマが使うことばは難しくて、私ごときが全てを理解しイメージできているとは思えないのですが、「何か」に引きずり込まれて、続きを読み進めてしまうのです。
私はものを書く人間でありながら、本を読むのが嫌いです。(絵を見るのが嫌いな絵描きという友人もいます)
理由は、まず翻訳ものの場合、日本語があまりきれいでないので苛々するから。
日本のエンターテイメント小説にも同じことが言える場合があります。
純文学小説は、書いている人が病んでいる場合が多くて(少なくとも私にはそう感じられます)、その「病み」の波長が私に移ってきて、自分が病んでしまうのです。私自身が元々病んでいるせいもあるのですが。しかし、純文学の日本語は美しいと感じます。もっと読みたいと思うのですが(特に夏目漱石)、これ以上病むのが恐くて逃げ腰になっているのが現実です。
しかし太宰やミシマからは、不思議なことに「病み」を受けないのです。これについては今後分析していきたいと思います。(太宰については高校生のときは「地獄に引きずり落とされた」と感じましたが、年を取ると感じ方が全く違い、ライトなものを感じるようになりました。太宰という男もまた、ミシマ同様可愛いと感じます)
最近は、海外の文学作品を読むとき、自分の頭の中に、日本語を日本語に変換するフィルターを通して読むように心がけるようになりました。するとやはり、カポーティやブラッドベリを読んで、病みました。
今度の課題は「『病み』が移らない読み方を見つけること」、ですね。
[ 2007/04/04 14:25 ]
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三島由紀夫の短編集『岬にての物語』のうちの一話。昭和28年の作品。
主人公の友人桑原純という男性画家がブラジルから日本に帰国した。その土産話。
ブラジルへは、戦時中日本から多くの人たちが移民しました。(このあいだNHKでしていたドラマ『ハルとナツ』を連想しました)
その中でも「勝ち組」「負け組」があり、桑原が出会った女性たちは、「勝ち組」ではあるけれど、戦後にブラジルにやってきた人々のようで、何をしてもどこをとっても真似ごとにしかすぎません。
その虚しさの象徴が「細川ガラシャ」とあだ名される女性です。
解説には「現世的な愛やものへの強烈な皮肉」と評されてありました。それ以上、二の句を継ぐことができません。
[ 2007/04/04 12:21 ]
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著;横溝正史 出版芸術社 '06,12,26〜'07,01.09 まだ10話中4話しか読んでいないけど(^_^;)
横溝正史は、「白い」。薄い牛乳か、カルピスのような印象を、文章そのものからは受ける。描写のしかたがミシマと対照的。横溝は、「物」を静物画のようにあるがままに描いているのに、それが却って雰囲気を邪魔する、ように感じる。私にはイメージさせることを妨げる。読みにくいと感じました。
面影双紙R・Oという男の生い立ち。売薬問屋の若主人。父は婿養子で実直堅実でおとなしい。母は派手好き。歌舞伎役者と懇ろになる。浮気が夫にばれたあと、その歌舞伎役者と母は火事に巻き込まれ焼死。「おつる」という女中の放火。その後おつるは井戸に身投げ。R・Oは父の子ではなく、歌舞伎役者の子だった。母は、身ごもったために慌てて手ごろな相手と結婚したのだった。
鬼火生まれつき(?)憎しみ合う従兄弟同士が一人の女性を巡ってさらに憎しみの炎を燃やす話。豊田村。漆山万造。漆山代助。お銀。入れ替わり。結局三人とも沼に沈んで死体は上がらない。
蔵の中結核の姉、。(先に死ぬ)結核の弟、蕗谷笛二。読唇術。双眼鏡で覗いた光景を元に小説を書いて、雑誌『象徴』の編集長磯貝三四郎に送る。登場人物は当の磯貝と愛人お静。
磯貝は原稿を送り返す。その1週間ほどあとのこと。笛二の自殺が新聞に載る。
貝殻館綺譚酔狂なお金持ち、貝殻貝三郎。貝殻館、からくり屋敷。年上の月代、若い美絵。月代が美絵を殺すつもりで訪れた崖で、逆に月代が美絵に突き落とされる。それを遠くから双眼鏡で見ていた次郎という少年。不気味な緑川大二郎。
美絵は次郎をかどわかし、貝殻館に呼び寄せてショック死させる。緑川がそれを暴く。やがて嵐が来て月代の死体が打ち上げられる。(次郎には双子の太郎というのがいた)美絵は狂気に陥る。
[ 2007/01/10 15:23 ]
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著;三島由紀夫 新潮文庫('06,11,18〜12,26) まだ13話中6話しか読んでいない(^_^;)
若いころに書かれた作品が多いらしい。一話読み終えるごとに解説を読まないとすっきりしなかった。心理描写も情景描写も観念的で、それでいて伝わってくるのが不思議だ。(逆に抽象的すぎてさっぱりわからない、頭の悪い私なんか置いてけぼりにされているような感じがするときがあるのは、(畏れ多くも)天才ミシマ青年が、頭の良さをひけらかしているのかなと思う。そのある意味「男らしい」ミシマぶりが、私にはたまらなくイイのである)
苧菟と瑪耶(おっとおとまや) S.19
お互いに一目惚れで恋に落ちた苧菟と瑪耶。瑪耶は死んでしまい、一人残された苧菟は、瑪耶の思い出の残る家で、一人生き続ける。瑪耶は苧菟の中で、星座のように気高く美しく尊い存在となった。
(多分そんな話。解釈には自信がないけれど)岬にての物語 S.22
想像力豊な11歳の少年が、ある夏、房総半島の一角の鷺浦という海岸で偶然出会った若い男女(姉と弟?)の物語。3人でかくれんぼをする。
(女性は男性の子を身ごもっていて、二人で入水自殺をする。私にはそこまで深い読解力がなかった……)頭文字 S.24
昭和十四年。主人公は朝倉季信中尉、二十代半ば。「宮」は二十五歳。千原公爵の娘渥子。朝倉は渥子と幼なじみで恋人同士。打毬会で宮が渥子を見初め、二人は結婚することになる。渥子は王子を生むが、朝倉の戦死の知らせを聞いて以来喪服を身に付け続け、宮家でも持て余し、座敷牢のようなところで終戦の年に死んだ。
(『春の雪』のようだと思った)親切な機械 S.25
京都大学の学生たちの話。女にもてる木山勉。木山にすがりつく鉄子。鉄子に思いを寄せて猛攻撃を仕掛ける、がっちりした体格の猪口(いぐち)。猪口は「田舎の哲学青年が実存主義とドイツロマン派と両方に同時にかぶれた信仰の告白のような恋文」を鉄子に送る。木山が策を講じたりするが、結果、猪口は鉄子を殺して逮捕される。
(ニヒルで面白かった)火山の休暇 S.25
菊田次郎25歳。一人で三原山を訪れる。活火山に飛び込み自殺をする人たちのエピソード。
「結局、地獄はなくなったのではなかろうか。現代の地獄は、地獄が存在しないことではあるまいか。(中略)さもなければあれほど人々が地獄を呼び求め、ありもせぬ地獄を翹望(ぎょうぼう)する気持が次郎にはわからない」
(これがテーマかと……)牝犬 S.26
女たらしの川原繁、大学生。それを囲っている章子(あきこ)、繁より20歳くらい年上。繁は章子に嫌気がさし家を飛び出し、彼と関係のある色んな女のところを訪ねるが、全て章子が先回りして「繁をかくまったら殺すわよ」と脅していたので、けんもほろろに追い返される。行くあてのない繁は結局章子の家に戻るが、そのときはすでに章子は自殺していた。
(何も死なんでも……、と思う) 発表時期を見てみると、年の取り方の典型的なものがわかる気がする。
それにしてもミシマは、結局死ぬんだなぁと思った。
[ 2007/01/10 15:18 ]
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